モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団・・・第2次世界大戦の後、ロシア政府はレニングラード・フィルのライバルとなるオーケストラを首都モスクワに設置、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団が発足されました。音楽監督にはキリル・コンドラシン、親交のあった作曲家ショスタコービッチの後期交響曲を初演。それによって楽団は世界的に話題となり、当時の西洋音楽界はこの新しい楽団に多大な関心を寄せました。現在に至るまで、マゼール、メータ、ソリストにはルービンシュタイン、スターン、メニューイン、グールド、ポリーニ、ミケランジェリ、リヒテル、ギレリス、ロストロポーヴィッチといった錚々たる面々が名を連ねています。
現在はユーリ・シモノフが首席指揮者に就任、国際的なコンサート活動を展開しています。
ユーリ・シモノフ(指揮)・・・ブラス・セクションを大きく鳴らし、打楽器を炸裂させるシモノフの、「ロシア風」といえる音楽づくりは日本でもファンが多い。ロシア系作曲家の作品はもとより、モーツァルトやベートーヴェン、マーラーからイタリア・オペラに至るまで、多彩なレパートリーを獲得している。1968ローマ・サンタチェチーリア指揮者コンクールで優勝。その後レニングラードフィルハーモニー交響楽団にてムラヴィンスキーの助手をつとめる。1969年ボリショイ歌劇場に招かれ「アイーダ」でデビュー。1985年まで首席指揮者を努め、当歌劇場では最長の任期であった。1998年モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。NHK交響楽団にも客演している。
フジコ・ヘミング・・・東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト。東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演。来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛したという。しかし“一流の証”となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。 1999 年NHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が放映され、大反響を巻き起こす。「フジ子の演奏をもっと聴きたい」という視聴者からの要望が殺到し、番組は再々放送され、さらに続編「フジコ、ふたたび~コンサート in 奏楽堂」も放送された。今販売されている CD は、クラシックの世界で売り上げもトップを独走し続けている。